Last Update: 2018/09/23 14:21

2018年9月23日の日記:自分の幸せは自分で創ろう

 自分が持っていないものを他人が持っているのを目の当たりにしたとき、人はよく嫉妬に駆られるものだ。

 こういう場合に、ただ「羨ましい」とか「自分もやってみたい」とか思っているうちは健全である。羨望という感情が原動力となって技術が少しずつ向上してゆくかもしれないし、やってみたいと思う好奇心によって新たな世界に足を踏み入れるきっかけになるかもしれない。こういったことはどんどんやっていって良いと思う。

 

嫉妬から他人の足を引っ張るのは虚しいだけである

 ただ、嫉妬の気持ちがあまりにも強すぎて、他人の足を引っ張ろうと思ってしまうのであれば、要注意である。例えば、「あいつがああいうことをできるのは気に食わないから、二度とできないようにしてやる」「あれだけの才能で評判を集めているのは気に食わない、評判を何としてでも落としてやる」というようなものだ。こういう思いは、他人を自分の意に沿うように貶めてしまうものである。

 もっとも、思っているうちはまだ良い。他人の思いや生活がまだ変わっていないのだから。問題は実行に移してしまった段階で起こる。本当に他人が不幸になってしまう危険性があるのだ。

 嫌な仕打ちを受けた他人がうまく対応すれば、その人は不幸にならずに済むだろう。しかし、仕打ちがうまくいってその人の生活が一変してしまったのだとすれば、これは大きな問題である。他人の「身から出た錆」ならともかく、何でもない言いがかりや罵倒の連続によってその人が貶められてしまったのであれば、その人に落ち度はないと言って良いだろう。

 さて、これで「嫉妬している人」を蹴落とすことに成功したとしよう。そこで自分の生活に変わりはあるだろうか。たぶん、何も変わらないだろう。会社の直属の上司、あるいは社長や役員の場合は少しは変化があるかもしれないが、嫌だと思っている赤の他人がいなくなったところで、賃金が上がったり身近な人間関係が良くなったりするわけではあるまい。

 他人がどう変わったところで、自分の生活に何の変化もないのであれば、単に溜飲を下げるだけの虚しい戦いに過ぎないのである。

 

大事なのは自分自身にどう向き合うか

 赤の他人の生活のことを気にしている暇があったら、自分の生活を幸せなものにするにはどうすれば良いか、その点を考える方がずっと良い。そのために自分自身や身の回りのことにきちんと向き合おうとする努力なら、少しでもやった方が良いだろう。

 幸せになりたいと言ったときに、他人はその人にとって良いと思っていることをどんどん言ってくるかもしれない。だが、例えば、この文章を書いている私と、このページをご覧になってくださっているあなたとは、根本的に異なる。私の書くことはあくまでも私にとって良いと思っているだけである。あなたは私ではない。だから、あなたはあなた自身にとって良いと思うものだけを参考にすれば良いのである。

 自分の幸せは、自分以外の誰かが創るものではない。あくまでも自分自身で定義するものである。肌に合わないと思えば「そういう考え方もあるのだな」というくらいに留めておくとして、価値観に合うと思ったらありがたく受け取ることにすれば良いのではないだろうか。

 他人がどう変わったところで、自分自身が変わろうとしなければ、生活の幸福度が向上することはほぼあり得ない(「棚からぼた餅」は期待するだけ損というものである)。他人のことをどうこう言うよりも、自分自身の生き方をどう変えるかになるべく注力しよう。

 幸せは誰かがくれるものではない。自分で見つけるものだ。

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プロフィール

haunted-haunter.jpg稲葉 幽助(岡山市在住)
好奇心旺盛で、色々な物事に手を出しやすく、行動力が高い。
上達しきる前に物事から離れてしまいがちなのが悩み。
ASD(自閉症スペクトラム)診断済。精神障害者保健福祉手帳取得済。(詳細なプロフィール

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